
【行くことへの迷い】
今年七月。
出張先のマレーシアの下町で、夕食を営業上司としながら、ケニアのことをそれとなく話しました。
その上司は「行く方がいい」と言って下さいました。
でも正直迷いました。
ボランティアとはいえ、社会人が一週間も休暇。
そのうえ危険とも思える土地。
社会人の男性が、ちょっと常識的ではなく、こうした活動に参加するというのは、少し勇気がいることなのかも。。と、思いました。
そんな話の最中、偶然売り子のストリートチルドレンに出会いました。
初めての経験にカルチャーショック…。
世界にはこういう子達が沢山いるのかな?
ケニアにもいるんだろうか?
そんなことを考えると、やっぱり行ってようかという気にもなり。
けれど、自分が行って何ができるかも分からないし、なんにも出来ないのが関の山!?
それに、経験もなにもない素人ですし、物珍しさで行くのはかえって迷惑。
この活動では、私たちは、現地の生活の場にお邪魔させて頂くと同時に、大野さんの職場を見学することになるわけで、私たちは訪問者です。
そう思うと、行ったはいいけれど、そうした場所で、どんな活動を自分はするのか?
自分なりの活動の目的を見出せないまま、会社まで休んで行く意味があるのかな?
と、心の綱引きだけが続いていました。
そんなとき、職場でJICAさんの案件があると聞き、対象国を見てみると、ケニアもその案件に絡んでいました。
よくよく考えてみると、自分の職場は、海外の環境や災害を相手にした仕事もある。
今回のツアーも、旱魃という自然災害に関連するのだから、何かしらの役に立つのかも…、と考え、思いきって仕事の現場に行くつもりで、9月に部長に申請しました。
すると、「行ってこい!」と即答を頂くことができ、ようやく行く決心がつきました
【なぜケニアに井戸なのか】

1) 世界の環境問題・災害問題
ケニアから帰国した翌日、同僚がハイチに仕事で現地視察に行きました。
ハイチの被災から11ヶ月経ちますが、その影響は未だに深く、日常生活の復旧はまだ先になると、その同僚は言っていました。
ボリビアのチチカカ湖でも水資源の枯渇が問題となっています。
先日ある学者さんが、その状況を観測するために研究を進めていると言っていました。
こうした、自然災害の渦中にケニアもあります。
昨今の災害は、環境問題が引き金となって起こる事象が多いといわれ、その原因は先進国や新興国の経済活動にも原因がある、ということは一般によく知られるところです。
こうした影響は途上国ほど大きく、ケニアも経済的には途上国の中でも中高国に分類されると言われますが、国土が乾燥地帯にあり影響を受ける国となっています。
2) ケニアの環境問題
ケニアでは旱魃が影響しており、最近では2009年に、その影響で人・動物あらゆる面で影響を受け、ドバイショックなどの経済危機が、救援に影響する、そんな事例にもなりました。
一方、乾燥地帯のため、逆に水害対策は進んでおらず、2006年に起きたダイポールモード現象(インド洋で起きるエルニーニョの様な現象)で豪雨が発生。
逆に水害を受け、脆弱な土壌のため洪水に見舞われ、感染症で多くの方が亡くなっています。
こういった環境において、水というライフラインは欠かせないもので、供給不安は市民の不安定な生活に直結することは、想像に難くないと思います。
3) この活動の意義
こうした旱魃の影響が残るケニアを訪問したわけですが、そこで出会った人々の笑顔は不思議と私たちに元気をくれるものでした。
当たり前だった普通の生活が、一つの災害で一変するかもしれない不安定な社会の中でも、明るく楽しく生活してみえるケニアの人々。
私には理解できませんでしたが、こうした危機を私たちより身近に感じ、受け入れながら生活してきたのかもしれません。
ですが、宿舎で見たケニアのニュースでも、連日、何らかの水問題を取り上げており、命に関わる大きな問題なのだ、と感じました。
International Water Projectの活動で、大野さんが行う井戸掘削事業は、こうした、安全な水が供給困難な地域で、水供給を安定的に行いながら、現地民の力でその普及できるようにすることを目的としており、旱魃のような水資源問題を解消するために必要な事業として、JICAも草の根技術協力事業で、この活動を支援していました。
ですが、水がほしいといわれて、その作り方を教えることを教える。
最初にこの話を聞いたとき「どうして?」と思いました。
ほしいといわれたら水を渡すのがなんとなく自然な感じがします。
たぶん自分もそうすると思います。
この一見「どうして?」とも思える活動を現地で見てみると、その理由の奥深さを感じます。
というのも貰うことが習慣化している実態や、施設を作って壊れるとそのまま放置される。
結果、ただ提供するだけでは、貰っておしまい、となってしまい、壊れるとそのまま廃棄物化してしまうそうです。
これは水問題を再発することを意味しており、持続した供給につながらないという、現実があるそうです。
そこで、井戸の作り方からメンテナンスの方法まで伝えることで、壊れても直し継続して使える井戸とすることで、水問題が再発しないような工夫をしています。 【咲き誇る花を見れば土の下の根を思え】
1) 奇跡のりんご
先日ある友人から、「奇跡のりんご」という本をお借りしました。
農業の世界で絶対に不可能と言われていた、無農薬のりんごを育てることに挑戦し、成功したとある農家のお話です。
その中で、「枝ばかり見て根っこを見ていなかった。」という下りの話があります。
木を支える根っこは、大地に立つ木よりも深く大地に入り込み、木を支えていることに気付き、根っこを大事にすることで、無農薬のりんごを作るに至ったそうです。
このエピソードを端的に表した、あるミュージシャンの歌の歌詞に「咲き誇る花を見れば土の下の根を思え。」という言葉があったりもします。
詳細はこの本に委ねますが、国際協力という活動にしても同じことがいえるのかもしれません。
2) 価値を見極めることの難しさ。
JICAの国際協力では、青年協力隊だけではなく、海外向けの公共事業などもあり、多岐にわたります。そんな活動の一つに、大野さんたちのお仕事を支える事業もあるわけですが、全体の比重からいうと、予算枠が少ないという実態があります。
仕分けなどでは見えにくい分、削除の対象にもなりやすかったりします。そういう意味では、どちらかというと、大きな活動をする団体への、恩恵が大きくなりがちです。
ですがそれをやみくもに批判も出来ません。
大きい事業や形が残る事業をする団体ほど、成果が見えやすく、評価もしやすいため、どうしても恩恵を受けやすい。そういったものを支援したくなるのが、やはり自然なのかも、と思われるからです。
自分達の仕事や生活において、大きい仕事、大きいお客様、大きい会社、そういったものに目が行くのに似ている感じがし、相対的に小さくても価値のあることというのは見極めにくいのだと思います。
実際、事業仕分けなどで、草の根技術協力事業も一部対象となっており、評価対象となっていました。
そうした間に、大野さん達の活動も立たされることがしばしばあり、活動資金に苦慮することがあるといっていました。
この活動は、ただ水を与えるのでなく、指導伝承をしていくという地道なプロセスの作業。
正に、問題の根っこに直接アプローチする方法なのだと思います。
一方で、木の根っこに染み入る水の様に、地域にゆっくりと根付かせていくこの活動は、もしかしたら木の根っこのように、とても見えにくい活動なのかもとも感じ、だからこそ、支援が必要なのではないか?と感じました。 【市民視点】
―水に困ってる人がいて、その問題を解決しようと頑張っている人がいる。
―そういう様子を身近な場所で知る事ができた。
そういう事実を見れば、その問題に挑戦しようとする人を後押ししたい、と思うのが人情かな?と思います。
ですが、大きな組織が人情だけで資金援助することは難しいと思います。
となると、やはりそうした活動こそ、別な方法で応援する仕組みが必要とも思え、ゴス広のような市民団体とNGO活動を結びつける取り組みも実は必要なのでは?と感じます。
現地で大野さんから時々お聞きしたのが「国際協力のありかた」についてです。
私も国際協力やボランティアについて関心があり、その活動について学んだことはあったものの、有効な事業という視点について考える機会はありませんでした。
JICAのような大きな組織がトップダウンで事業を展開することも必要ですが、一方で地域に根ざした活動をするNGOに支援が届きにくい実態もあることを考えると、ボトムアップ型の事業展開も必要かもしれません。
それなくして、現地に根ざす大野さんたちのような活動をバックアップすることは困難なのではないかと現地活動を拝見し思いました。
そこに来て、音楽が好き、という共通の趣味をもってゴスペル広場に集まった私たちが、音楽の傍らに国際協力の様子を知る機会があって、一市民として、生活者としての目で現地を見せて頂く機会をいただけた、というのは国際協力の大変さや苦労を知る貴重な機会だったと思います。
実際にお伺いして、「水」というテーマを通じ、生活で困ることというのは、世界でも同じなのだ、と分かったわけですが、これも大野さんのような、お仕事の存在を知る事がなかったら、分からなかったことかもしれませんし、国際協力ということの現実の大変さを知ることもなく、その言葉だけを由として協力したつもりになっていたかもしれません。
そういう意味で、ゴスペル広場のような活動を通じた支援だったから、大野さんたちのような地道な活動の価値を知ることができたのではないか?そう思うことがあります。
大野さんたちの活動は、二人三脚で行ってきた、地域住民に根ざした根気のいる活動ですが、お二人の活動の姿を見て、小さくても強い火は消えない、そして、このような活動の火を消してはならない、そう感じました。
 (完成した二号井戸にて、友好の握手)
【掘るだけが仕事ではない 掘る以外の作業】
この事業のメインは井戸の作り方を現地の方に指導・普及しながら、水を供給し、その技術の輪を広げていくことですが、そこに至るには、実は様々な準備が必要です。
まず、掘るためには「掘れる場所」で且つ「コミュニティに近い場所」を探すというアクションが必要です。
これはコミュニティに近い場所で植生や、土壌、地質等を観察したり、探査機などを使い、地下水脈を探ります。
広大な土地、そして道路整備もままならない環境で、これらの条件に合致する場所を探すのは大変な作業です。
実際、井戸のサイトに行くまでは車で行くのですが、そこには道らしい道はありません。
地面の凹凸を見ながら進める場所を進む。
言ってみれば、富士の樹海で遭難した人を車で探すような感じでしょうか。
それゆえ、掘削地への道路整備も必要です。
といっても、舗装された道路が作れるわけでもなく、できても車が通れる程度のわだちの道です。
生い茂る草や、石をのけてそうした道を作ることもあるそうです。
実際、一号井戸がそんな場所にありました。
より大きな地図で UNITYでできた一号井戸 を表示
【教え伝える 人への継承】
また、普及のためには現地への技術指導も欠かせません。そしてこれが最も重要です。
掘れる場所があっても、「掘ろう」というコミュニティの意思と協力がなければ、動けないとおっしゃっていました。
掘る気がなければ、指導しても覚えてもらえない。
覚えてもらえなければ、技術伝承し広げていくことができないためで、それがために、掘削をやめたこともあるそうです。
一重に教えるといっても、文化も言葉も違う者同士が、一つの目的のために集まり、教える教わるの関係を持続しながら、完成に導かなければならないという、難しさがあるのだと思いました。
聞いたお話では、えてしてマサイの男性はあまり働かないそうで、彼等のモチベーションを保つのには人一倍苦労があるそうです。
ですが、この工事はコミュニティ全体で協力して行う作業で重労働。地層の状況によっては、岩盤などの影響で掘り進められず、工事をやめなくてはならない場合もあります。そうした側面もあるなかで、続ける強い意志を持って貰うには、彼等自身の安心して使える水を得たい、という強い意志が必要で、そういう強いニーズを持つコミュニティからの依頼を受け、一体となって事業を進めるそうです。
こうした志の集まりが、将来の技術者を育てることにつながり、仕事となり、彼等の生活にも繋がる。
また、技術を身につけた人が別のコミュニティで指導したり、これから井戸を掘ろうと考えているコミュニティの人を呼んで、OJTをしていくなど、横の繋がりにもなっていきます。
こうした苦労を経て作る井戸だからこそ、連帯感が生まれ大切に設備を使う気持ちが生まれる、ともおっしゃっていました。

(井戸掘削の様子)
【日々の小さな活動が大きな力になる】
私事の話しも交えての話題で恐縮ですが、大野さんのこうした活動において、地図や航空写真は広大な土地から掘削場所を探すとき、しばしば必要になるそうで、作業のときも、地図を持っていらっしゃいました。
しかし、更新がなされず、最近できた道路などは記載されてないので、自分で書き込んだり、インターネットで地図を見たりするそうです。
実際にそういったことをしていることは、現地で初めて知ったのですが、そもそも、広大な土地からどうやって掘削サイトを見つけるのか?現地観測はどうしているのだろうか?と思い、成田に向かう直前、職場で自社の衛星画像のサンプルを印刷して持って伺いました。
というのも、環境問題や災害の現場では道路が寸断されたり、途上国ではもともと道がなかったりして、車どころか、徒歩でも災害地に行くことができないことが頻繁にあります。
そういった状況では、現地に赴いての現地観測にも限界があります。
そのため、被害状況の把握と復旧対策の優先付け、ルート選定といった調査を空撮画像から行い、迅速な対応に活用されます。
そのため、井戸の掘削においても、緊急性はなくとも、サイト選定の現地観測の効率性から、地図や写真、測量機材が必要なのでは?と考え、安価なGPSカメラや、サンプル地図など安く入手可能な測量機器で、地図のないところに地図を作る工夫ができたら、大野さんたちも助かるかも、と思い、実験もかねて、家電屋で、GPSカメラ一台を調達し、衛星写真サンプルを持ってヒアリングをしてみようと思いました。
実際に画像を見ていただいた際は、地の利などもあって、色々見えるものがあるというお話をされていました。そこで、もし有効活用できるなら、できる限りのご協力をさせて頂けたらと思い、帰国後、大野さんにご連絡しました。
私の会社はセンサーや測量機材を使って地球の様子を捉え、地図や、防災、環境情報などを提供する測量コンサルタント会社なのですが、偶然、約30年前にケニアの基盤地図を作成した、と上司の方から聞きました。
実際に大野さんがお使いだった地図が、それだったのかは分かりませんでした。
ただ、偶然とはいえ、こうした形で、この地で自社の昔の事業と出会ったということ、またその成果がこうした形で使われていることを再確認できたのはとても嬉しく、有り難いものでした。
その時気付いたのは、日々の仕事も、身近なお客様との間だけでクローズするものではないのかも、ということです。
音楽で国内の方に楽しさを伝え、さらにこうした活動の後押しをしたいと思い、ゴス広の活動に参加させて頂いていますが、それ以外の日常の中からでも、何か違う場所で役に立つものがあるのかも、と改めて気付かされました。
【皆の思い】
1) 恩を形に
「はやぶさ」という小惑星探査衛星の管制をされていた方と、以前、お仕事をさせて頂いた事がありました。
その方から、「技術者というのは、分からない事があったとき、お互い持てる知恵を出し合って問題を解決する。そのとき助けられたと感じたなら、その恩はいい仕事をして返すものだ。」とおっしゃっていました。
自分にもそんな恩を返したい人がいます。
『東京で地震が起きたら、助けに行くからなぁ』
『ここはおまえの第二の故郷や。』
震災でのこと。皆、地震で家のことも大変だったろうに、それでもボランティアをかってでた親友から頂いた言葉なのですが、嬉しかったです。
避難所で、初めて彼等にお会いしたとき『凄い人達だ』単純にそう思い、頭が下がる思いがしました。
自分よりみんなのために行動できる行動力。
彼等と同じ立場だったら自分にはできないかも。
けど、そうあれたらいいなぁって。
かくいう自分は…、
何かお手伝いしたくて、親戚をお見舞いも兼ねて来てはみたけど、ボーイスカウトをやっていた彼等のようには、お手伝いできない。
そんなとき、
『できへんでも、来てくれたいうんが嬉しいわ 。』
そんな風に言って頂けて救われました。
その時、本当の優しさ、強さ、思いやり、そして感謝を教わりました。
苦しい状況だからこそ知った真心なんだと思います。
今もそのことへの感謝の気持ちは変わらないのですが、その気持ちを、ただ考えるだけでなく、行動に変え、恩返ししたいなぁと。それがケニアに行こうと思ったもう一つの動機でした。
【暖かい言葉】
ケニアに行くときめた日、彼等にそのことを報告しました。その時頂いたメッセージです。
>身体に気を付けて…何より楽しんで働いてきてください。
>本人が元気ないと、手伝われる方も心から喜べないもんな。
>ケニアですか~。すごい挑戦ですね。
>是非とも気をつけて行って来てくださいね。
>ボランティアが発端になってるのは嬉しいな
前と変わらない、何気ない一言なんですが、こういう活動の大変さや、大切さも知っている方々からの言葉と思うと、嬉しさと重さを感じ、改めて、
『今何ができるのかな…?』
と、考えていました。
彼等に会わなかったら、このような活動に関心も持たなかったかもしれません。
そう思うと無駄にしたくないなぁ、と。
前と同じで、何もできないかもしれないけど、何もできないと諦めず、まず行動することが大事なんじゃないかなぁ、と感じました。
なら現地に行って、できるお手伝いをして、交流をはかる。それだけでもいいのかも。
きっとそれが友に今できる、恩返しなんだろうなぁ。
そんなことを思い現地に行きました。
また、今回行くに当たり、
>楽しんできてね
>自分も行きたかった。
>滅多に行けるとこじゃないから、有意義な時間にしてきてね。
など、沢山の暖かい言葉を頂きました。
そこで、皆さんのお気持ちを、何かしら形で返せないかと、できる限り、記録を残して皆さんに紹介できたらいいなぁ、とカメラを回しました。
【ボランティアの難しさ】
そういう意味で記録係のつもりで、写真を色々撮りましたが、正直ちょっと躊躇いもありました。
カメラを向けるとき自分は「記録を残そうとしているのか」、「単に思い出を残そうとしているのか」という戸惑いです。
皆さんのお気持ちを、形にするにはただの思い出ではダメな気がして、何かしら次の活動に繋がる記録にしないとなぁ、とちょっと思いました。
自分もプロカメラマンじゃないので、写真のとり方は良く知りません。
が、撮るときはちょっとだけ、申し訳ない思いもありながら撮影させていただきました。
こうしたサイトに入るとき、現地の方にとっては日常ですが、自分にとっては非日常的でどうしても気持ちが、変に浮ついてしまうことがあります。
自分が今ここに何をしに来ているのか?を極力忘れないように活動をしたつもりですが、よくよく記録をみると、自分の行動に反省点も沢山ありました。
改めて、ボランティア活動の難しさを感じた部分もあり、次に何かをするときの反省材料も沢山ある活動でした。
1)笑顔というギフト
私はケニアに行く前は、どこか遠い国で、危険で、貧しい国という印象があり、少なからず同情するような気持ちがどこかあった気がします。
ですが、実際に行ってみて少しイメージが変わりました。
「水の作り方を教えるお手伝い」というボランティア活動を通じ、マサイの人々との交流や、井戸堀の見学、お手伝いをさせて頂いたわけですが、逆に彼等の陽気な国民性、子供達の笑顔というギフトを頂いた、と感じる活動でした。
 (駆け寄ってきた子供たち)
現地に行くと、私たちのような外国人は彼らにとっても珍しい存在で、好奇心を持って、また、歓迎の心を持って接して頂けました。
そのことはとても嬉しいことですし、有難いことですが、そこはボランティア活動の場であり、大野さんたちの職場でもあるわけで、自分はその地域にお邪魔させてもらう訪問者である、という気持ちを忘れないようにしていたのですが、余りの感謝とその歓迎ぶり、そしてその笑顔に、一瞬そうした気持ちすら忘れてしまうほどでした。
 (二号井戸にて歓迎の祝い)
2)豊かさって何?
確かに日本と比べ、ライフラインやインフラの整備が進まないことによる生活の不便さ、社会情勢の不安、経済格差といった違いを沢山、垣間見ました。
が、実際に見たケニアの人は、そうした内政事情をはらみつつも、陽気で楽しげな生活をしていました。
ケニアでは社会問題の一つに水の問題があり、飲料水は買わないとダメ、生活水も下水道どころか、上水道すらまだ整備されてはいません。
そのため疾病率も高く、命を落とすお子さんも多いとのこと。
訪問した私達も渡航中は水をつねに携え、宿舎でも十分に水が配水されず、交代で洗濯、シャワーを使うといったことをしてみようなんて、仲間内で水議論をしたこともありました。
こんなディスカッション、日本ならしないよなぁ、と思ったとき、その重要性を身をもって感じました。
翻って日本はどうか?
インフラの問題は小さいかも知れませんが、少子高齢化、福祉、心の問題、経済問題といった問題を抱えています。
そう考えると、問題の質も内容も比べられるものではありませんが、これって、ケニアの内政問題と同列なのかも?と感じました。
日本で社会問題を話題にするとき、心の貧困にあるのではないかと言われることもあります。
それと同じレベルの問題としてケニアでは水と命が社会問題になっているのだと思います。
ですが、そのような環境にあっても、生き生きと生活している彼ら。
「貧しくとも楽しいわが家」という言葉さながらの彼らの生活をみるにあたり、「豊かさ」とは何なのか?とちょっと考えてしまいました。
【UNITYから始まった未来】
Unityが最初にお披露目された2009年3月。それから、一年と半年あまりたちます。(→詳しくはこちらの「制作日記」をご覧下さい)
そこから始まった未来は、IWPさんと、名前も知らなかったケニアのとある村に出会い、レコーディングにCD制作、販売を経て、綺麗な水を生み出すポンプという絆に変わり、しっかりと現地の人々に届いたと感じています。
今回、その一つの節目を迎えるにあたり、現地でのポンプの取付けに立ち会わせて頂き、また実際の作業を、短いながら現地マサイの方々とご一緒させていただきました。
ですが、ここはまだ通過点で、終わりということではないと感じています。
実際に、この歌から生まれた絆は、次の未来を描き始めており、ゴスペル広場有志の皆さんで製作した紙芝居の現地小学校への寄贈によって、衛生教育といった取り組みにも協力できました。(→詳しくはこちらの「全体レポート」をご覧下さい)
そういう意味でも、次の未来が現地では始まっていますし、3本4本と次の建設をするための資金援助が必要です。
私達も改めて、この一つの成果から始まる次の未来を考え、行動することが求められているのかな、と思います。
私たちが贈らせて頂いた「井戸」というギフトは、「感謝と笑顔」というギフトになって返ってきました。
色んな人が関わってできたこの活動を、暖かい気持ちで受けとっていただけたことに、とても感謝しています。
今度は、彼らから頂いた感謝のギフトを、私たち一人一人に与えられたギフトを持って必要とする人へ。
それが、彼等から頂いた笑顔や感謝のギフトへの恩返し。そう感じています。
これから始まる次の未来が、そんなギフトのやり取りから生まれる幸せな世界となることを願います。

~~~今後の現地訪問ツアー参加者へ~~~~~
ボランティア講習などから学んだことで基本的なことをご紹介します。
●そのサイトに何をしに行くのか?というミッションを明確に。
(活動主旨にあうものならなんでもいいです。)
●自助・互助・共助の心得を。
●事前に、現地情報をなるべく収集し、どんな活動をするか把握し、イメージしておくこと。
●現地住民の生活の場に入って活動していることを忘れないこと。
●無理・無茶をしない(一人の無理が、活動を危険にさらす事もあります。)
他:挨拶の言葉は現地の言葉を!
日本語で海外の方から「こんにちは」とか「ありがとう」って言われると嬉しいのと同じく、現地の方も嬉しいです。
一号井戸で出会った地域住民の方に、「ハロー」といったら首を傾げていましたが、マサイ語で「ソパ!(こんにちは!)」といったら、みんな駆け寄ってきて挨拶して頂けました。 |